なんてこった、


 何ということだ! 昨夜、確かに仕舞った筈なのに、たった一晩目を離したら、跡形もなく消えている!
 という事実に衝撃を受けて、加賀城太郎は開けっ放しの冷蔵庫の前で立ち尽くした。 ずるり、と膝から力が抜けて、気付けば床にへたり込んでいる。おお、何ということ、何ということだ、どうしろというのだ。
 何しろ今日は土曜日、そう、既に土曜日、当日であって、今更になって出掛けるのも、素知らぬ振りして受け流すのも、どちらも到底容易いとは言い難い。
 ……いや、待て、一縷の望みが無いとも言えぬ。先程響いたドアチャイム、来客中なら接待の為、今日子は暫く応接間にかかりきりになる筈ではないか、 その隙を衝いて外に出れば、何処かで調達できるということはあり得ないか?
 そろりそろりと扉に近付き、ひたりと耳を押し付ける。低く途切れぬ話し声、時折高く響く今日子の笑い声、相手の声は、誰だ、耳に馴染みのあるような?
 そうっと扉を押し開けて、細い隙間に目を付ける。何処だ、誰だ、視界が狭くて、思うようには相手が見えぬ。 ひらりと横切る白い影、靡いた髪の淡い色、ああ、どうやら今日子が立ち上がったらしい。足音に紛れてもう少し、もう少しだけと扉を開ける。
 隙間が幾分広くなり、狭い視界が広くなり、食い入るように走らせた目の、端が確かに捉えたものは。
 ――新条。よく知る男の俯き加減の眼差しの、視線の先に置かれた箱の、銀色をした飾り文字、ああ、それは、それは!
「っと待てテメェ! なんだソレ!」
 ばあん!と扉を押し開けた。脳内でサイモンとガーファンクルがギターコードを掻き鳴らす。ぽかん、とした顔の新条が、静止画のようにこちらを見つめて止まっている。
「いたのか、加賀、」
「『いたのか』じゃねーよ、……おい、」
 距離を詰めるのに二歩、三歩、少し低めのテーブルに、ちょこんと置かれた白い箱、銀色の文字に目を眇め、加賀は静かに息を吐き、
「……よくも俺のもんに手ぇ出したな、あぁン?」
 言い切りざま、ぐいっと襟首を引っ掴んだ。
「ちょっと加賀くん!」
 背中にびしりと声が飛ぶ。悲鳴では無く怒号でも無い、強いて言うなら叱責か、幾度も浴びた今日子の声。
「いきなり入って来て何やってるの! 新条くんが困ってるでしょう!?」
「こ、困ってるっていうか、……なんなんだよ、加賀っ」
 無駄の無い動作で掴んだ片手を引き剥がされて、思わず知らず舌打ちが出る。
「何しに来た」
「おれは、」
「どういうつもりでこんなもん持ち出しやがった」
「…ん?」
「コレだよ! これは俺んだ、勝手に手ぇ出していいもんじゃねーんだよ!」
 ばん!と掌を叩きつけたらテーブルの上で箱が弾んだ。隣のカップもかちゃりと跳んで縁から小さく雫が跳ねて、新条はみるみる困惑顔になった。
「なんとか言え!」
「……おれじゃない、」
「は?」
「それ、出したの、おれじゃない」
「――わたしよ」
 庇うように差し出された、りんと真っ直ぐな指先の、元を辿れば今日子の顔。
「わたしが出したの、お茶うけに! なんで加賀くんが怒るのよ?」
「えっ」
 ぽかん、とした顔の加賀は、さっきの新条を焼き直すようにして固まった。
「……なんできょーこさんが、」
「だって急に来るんだもの、お茶うけ何にも用意してなくって……探したらこれがあったから、慌てて出して、あ、」
 何かに気付いたらしい今日子が揃えた指先を口に当てる。
「ごめんなさい、もしかして加賀くんのだった、の」
「――あああああ! そーですよ! そーですよちっくしょお何してくれちゃってんのぉぉぉぉ!」
 ばん!と今度は自らテーブルの上に倒れ伏す。絶妙にカップにも箱にもぶつからない位置を意識せずとも選んでしまう、自分の器用さが心の片隅で情けない。
「だって、加賀くんが甘いモノ買ってるなんて、普通、思わないじゃない……」
 戸惑い口調の今日子の視線は恐らくテーブルの白い箱、艶やかな陶製の器に収まった、こっくりと甘いティラミスの上だ。
 そうとも、それはその通り。甘ったるいものは昔から苦手だ、進んで買うなどあり得ない。普段なら絶対、あり得ない、けれど。
「……コレはきょーこさんに買ってきたのにぃぃぃ」
「えっ」
「チカちゃんとかハナエさんとか、のんちゃんとかゆっぴーとか、色んな子に訊いてここのがいちばんおいしいって言われたから40分も並んだのにぃぃぃ…ッ!」
「え、えっ?」
「……ホワイトデーですからね」
 ぽそり、と新条がフォローを入れたらしい声が聞こえるが、加賀は頭を上げられない。あっさりさらりと立ち直るには、些かショックが大き過ぎる。
「ホワイトデーって…」
「おれも、お返しを渡したいと思って今日、来たんですよ」
 しゅるしゅる音が響くのは布の袋か風呂敷か、とにかくどうやら新条が、手土産の品を今日子に渡したらしい様子、一段落した気配を読んで、漸く加賀は面を上げる。
「加賀くん、……あの、ごめんなさい、」
 羞恥でほんのり頬を赤くした今日子の目が、躊躇いがちに加賀を見ていた。絡んだ途端に頭のどこかがぱちりと飛んで、一気に衝動が込み上げる。
「ったく、アンタは、」
「ひゃっ!」
 掴んだ片手をぐいっと強く引っ張れば、倒れ込むように今日子の膝が床に落ちる。
「鈍いんだよ! 鈍感すぎんの! 俺がどんだけ、アンタのこと考えてると!」
「だからっ、ごめんなさいって、」
「――もーいい、アレは新条にやる」
「えっ」
 声を立てたのは今日子ではなく新条だったが、細かいことはどうでもいい。
「アンタには、……もっと甘いもん、くれてやるよ」
「! ちょ、や、まさか、」
 見せつけられる新条には悪いが、些か腹が立っている今、勘弁してやるつもりはない。
 そんな訳で土曜日の午後の昼下がり、窓越しの春の陽射しは降り注ぎ、――そして二人は、甘い甘いキスをした。


Twitter「お題bot【milk】(@milkmilk_odai)さん」より“小説書きさんにCP5の試練”のうち、
 2.『よくも俺のものに手出したな…』という台詞を入れて小説
 5.『何ということだ』で始まり『そして二人は甘い甘いキスをした』で終わる




[2015年3月]