制服の頃
賑やかな声を上げながら、セーラー服の一団が通りを駆け抜けて行く。
ふわりと鼻先を掠める匂いは甘く、けれど年相応に清々しくて、後に残されたはしゃいだ雰囲気と一緒になって加賀の口元を綻ばせた。
「鼻の下が伸びてるわよ」
「やべ、見られた?」
呆れ声に大袈裟な声で答えておいて、それからにへらと振り返る。
「なーんつってな」
「あら、本音でしょ?」
「ご冗談を! ロリータ趣味はありませんのでね、俺は」
「セーラー服に愛着を感じるようなタイプは、女学生コンプレックスっていうんだと思うわ」
小さく肩を竦めると、加賀は今日子の手から重たげな紙袋を受け取った。
ありがとう、と微笑んで、今日子は先に立って歩き出す。
ふわりと、甘い匂い。さっきの女子学生たちとは違う、もっと華やかで、深みのある匂い。
あー今日子さんのニオイだ、と目を細めて、ついていく。
「さっきの子たちね、」
「ん?」
「後輩だわ。うちの制服だもの、あれ」
「……へぇ」
驚いた。いまどき、「セーラー服の」女子高生ってだけでも希少価値なのに、まさか今日子と縁があろうとは。
「昔っからおんなじ? あの制服」
「ええ。ブレザーに変更するタイミングを逃したんでしょうね、変にプライドの高い学校だから」
「ふーん」
「『歴史と伝統』とかね、そういったフレーズが大好きな人たちなのよ。OBが」
「アンタもOBだろ」
笑ってやると、まあそうだけど、と苦笑する。保守的傾向と合理主義が同居する今日子の複雑な内面には、未だに加賀の理解は及ばない。
「しっかし面白ぇなー。今日子さんに、あんな格好してた時代があろうとは」
「誰にだって高校時代はあるでしょう、」
「俺はねーけどな」
「……そうね」
加賀こそ、いまどき珍しい「中卒」である。
その中学校時代とて父親への反発とバイクと車とレースばかりで過ぎたようなものだから、学生服の一団に対して抱く感慨は、今日子とは全く異なるものだろう。
ということに思い至ったのか、今日子は複雑そうな顔で口を噤んだ。
「ごめんなさい、とか言うなよ?」
「……ええ」
先手を打って口を塞ぐとこくりと頷く。うん、素直でよろしい。微かに目を細めると、加賀は足早に今日子の隣に並んだ。
優しい髪の匂い。今日子の匂い。
「俺はさー」
「……何?」
「自分の人生、大正解だったと思ってっからさ。これでも」
「…『大』正解、ってところが如何にも貴方よね、」
うっせー、と反抗しておいてから、笑う。
「別にいーんだ、高校時代がなくっても。まあ、あったらあったでよかったんだろうけどさ」
「そうね」
「今日子さんは?」
「私?」
「うん。どーだった? 高校時代」
さっき走り抜けて行ったあの子たちと同じ、薄青色のセーラー服に身を包んでいた時代。
「楽しかったわよ。割と」
「わりと?」
意地っ張りめ、と笑ってやる。今日子もくすりと笑う。
「高校生には高校生の苦労があるのよ、当たり前だけど。部活は厳しかったし、人間関係もそれなりにややこしかったりね」
「授業には苦労しなかったろ?」
「まあね。体育以外は」
ぶふ、と吹き出したら軽く睨まれた。
「なに、今日子さん体育ニガテなの? 俺いま初めて聞いたんだけど」
「全般じゃないわよ、走るのが人より遅かっただけよ!」
「いやソレけっこー全般的にニガテってことだろ」
「…悪かったわね」
「別に悪かねーよ」
言いながら、笑い声が漏れるのを抑え切れない。ああ、これだから、もう!
「いいわよね貴方は。どうせ何をやったって上手なんでしょう?」
「なんで怒んの」
「怒ってないわよ。羨んでるだけ!」
「なんだそりゃ」
膨れた頬をつついてやると、もう、と眉を寄せてから仕方なさそうに破顔した。
「本当に、羨ましいと思っているだけよ。きっと人気者だっだでしょうね。昔から」
「……うん、まあ」
それなりには。まだきらきらしていた小学校時代を思い出しながらちょっと頬を掻く。
「うちは、校舎が男子部と女子部に分かれてるような学校だったから、当然クラスメイトは女子ばっかりだったんだけど」
「へぇ?」
それはなんとも、古風な。そして随分と華やかな話だ。教室内全員が女子高生、というのがどんな空気なのか、加賀には全く見当がつかない。
「学園祭とか強歩大会とか、あと、球技大会とかね、そういうイベントは男女合同なの。だから、運動神経のいい男の子って、すごく人気があったのよ」
「アンタも?」
「え?」
「そーいうヤツ、好きだった?」
「…ええ、そうね。憧れだったわ」
すごくね。言いながら細めた目の光が優しくて、あーちょっと妬ける、などと思う。
「もし、」
「んー?」
「もし、貴方がいたら」
「……いたら?」
「どうだったかしらね、と思って。きっと憧れたでしょうね。すごく」
「…ん」
どうだっただろうか。もし、近くに居たら。
エンジンの音と響きと、速度、耳元で荒れ狂う風の音以外に何も、好きなものなんてなかったあの頃に、もし、今日子が近くに居たら――それはきっと、たぶん。
あー、そっか。胸を灼く小さな痛みに目を細める。居たっけな、そーいうコト言った奴が。
薄青のセーラー服に散りかかる桜の花びらの白を、ずっと忘れられずにいたと、よりによって彼女自身に告げて、挙げ句に泣かせたバカ野郎が。
その気持ちがちょっと解ってしまうなんて思うのは、……制服姿の高校生たちが残して行った、逆らい難い郷愁の所為だろうか。
「……まあ別に、いーや」
黙って手を繋ぐ。今日子が微笑んで、小さく加賀を見上げてくる。
うっすらと上手な化粧をして、柔らかな光を瞳に湛えて。
さっきの子たちが持っていたような、初々しさも無邪気さも、幼さも若々しさももう、今日子にはそれほど、残ってはいないのだけれど。
それでも、好きだと思う。もし高校生のときに出逢っていたとしても、きっとそのときよりも、もっと。
「今だってちゃーんと、憧れてくれてんだろ?」
「そうね」
ふふ、と笑う。その声が。少し低く丸みを帯びた、年齢を感じさせる声が。やっぱりとても、好きだと思う。
「あと何買うの?」
「薬屋にちょっと寄りたいわ。でもその前に、休憩かしら」
「賛成」
「どこにする? コーヒーでいい?」
「いちばん近いとこでいい」
「……疲れちゃったの?」
「腹減った」
もう!と片眉を上げて、それから今日子はふとからかうような表情になった。
「じゃあ、あそこでもいいの? ほら、そこに見えてる――」
「げ、」
指差す先は、制服姿で溢れ返っているファストフードチェーン。過剰なまでの活気と混雑っぷりに思わず顔を顰めると、ほらやっぱり、と笑われた。
「もーちょい落ち着いて座れるとこにしよーぜ……」
「じゃあ、通り渡っちゃいましょうか」
「ん」
頷き合って、微笑み合って、繋いだ手に少し力をこめて。賑やかな笑い声をあげている、高校生たちに背を向けて。
青春の光が遠く薄くなっていっても、ちっとも寂しくなんかないのだ――この、大切な人と一緒なら。これから先も、きっと。
細めた目の奥で微かに、薄青いスカートの裾が翻った。
[2012年8月]