白い色は花嫁の色
1、お嬢さんを僕にください
「お嬢さんヲ、俺にクダサイ……」
ぎこちなく呟いてみたその声を聞いて、彼の隣で彼女が吹き出した。
「ってオイ! なに他人事みたいに笑ってんだアンタは!」
「だって、」
顔を上げた彼女の目尻には、微かに涙が光っている。いくらなんでも笑いすぎだ。
精一杯の抗議の意味を込めて眉を寄せてみせるが、余計面白そうに笑い転げるだけ。
「っとに、人が一世一代の覚悟固めようってときにまったく……」
「あら、覚悟も無しにプロポーズされてたなんて、知らなかったわ、」
「違うって、そんときゃそんときで苦労して覚悟は固めたっての!
そーじゃなくて、今回のは、その、……ああああああ、ダメなんだよ、俺、アンタの親父さんニガテなんだって……」
シートベルトも外さないまま、低く呻いてハンドルの上に突っ伏した。
まだくすくす笑いを止めない彼女が、目を細めて窘める。
「心配しすぎじゃない? きっと大丈夫よ」
「だいじょーぶじゃねぇよ」
「大丈夫よ。だって、お父さまも貴方のことは苦手だもの」
「……それのドコが大丈夫なんだドコが」
「いいじゃない、なんとかなるわ」
にっこりと笑う。
「だってどちらも、私のことは大好きでしょう?」
「……参りました」
天下無敵の女王様に、加賀は深々と嘆息した。
◆
2、血は争えないと言いますわ
「……正直に言えば、」
深い溜め息と共に彼は言った。
「どうして、あんな男を選んだのか解らん」
「あら、」
軽く目を見開いて、彼の配偶者たる女性は言った。
「だって、貴方の娘ですのよ?」
「…………」
「それに、私の娘ですもの」
「………………」
「昔から、血は争えないと言いますわ」
澄ました顔で紅茶を啜る彼女の口元は、確かに娘とそっくりだ。
「きっとそのうち、私にそっくりな孫娘が生まれて、」
少女のようにくすくすと、その口元を綻ばせる。
「貴方によく似た恋人を、連れて来るんじゃないかしら?」
そう言って彼女は、かつては娘婿同様に生意気なレーサーだった男を見上げて、笑った。
◆
3、末永くお幸せに
「……どう?」
読み終えたあすかが軽く頭を振るのを見て、ハヤトは絶望的な溜め息を吐いた。
「まだダメ? どうしてさ、結構よく書けたと思ったのに」
「教訓とか忠告ばっかりじゃない。後輩に注意するのとは違うのよ?」
「忠告がダメって言われたら、何を書けばいいのか判らないよ」
「だって、コレじゃきっと加賀さん怒るわよ。生意気言いやがってコイツ!とか言って、
ぜーったいあとで飲まされたり小突かれたり蹴飛ばされたりするわよ」
「……だって実際、結婚生活は僕の方が先輩なワケだし」
「なんて、加賀さんが納得すると思う?」
「……思わない」
頭を振って、いちばん上のレポート用紙を破り捨てた。放り投げていたペンを再度取る。
「あーあ、こんなことなら引き受けるんじゃなかった。スピーチ書くのが、こんなに難しいなんて思わなかったもんな」
「文才がないんじゃない?」
「言ったな」
「ハヤトの才能は全部、走ることだけに使われちゃってるんだものね」
「……そうかもね」
でもそれは、と、ハヤトは呟く。
「きっと加賀さんも同じだよ」
「そうね」
柔らかく微笑んで、あすかは止まったままのペンを見ていた。それから、不意に呟く。
「それがいいんじゃないかしら?」
「え?」
「それ。ハヤトは加賀さんと似てるんだし、せっかくよく解りあってるんだから、もっと正直に書いたらいいんじゃない?
いつも考えてることとか、言いたいこととか。経験談だのアドバイスだの、そういう偉そうなものじゃなくて」
「……正直に、か」
少し考えて、今度はさらさらとペンを走らせ始めたハヤトを見て、あすかは席を立った。
食器を仕舞い終えて戻ってくると、もう何枚目になるか分からない下書きを新しく渡される。
「今度のは、どうかな」
「…………」
ざっと目を通して、やはりあすかは頭を振った。ハヤトが眉を寄せる。
「まだダメなの? どうしてさ、今度は生意気なことも、偉そうなコトも言ってないのに」
「まるでラブレターじゃない、こんなの……」
ひらひらと目の前で振りながら、呆れた、という溜め息を吐く。
「コレじゃきっと加賀さん怒るわよ。俺はお前と結婚すんじゃねーんだぞ!とか言って、
ぜーったいあとで潰されたりどつかれたりヘッドロックかけられたりするわよ」
「……だって実際、加賀さんをいちばんよく解ってるのは僕だと思うし」
「なんて、結婚式で言えるの?」
「……言えない」
お姫様ではなく女王様である新婦の反応を想像して、ハヤトは小さく身震いした。
◆
4、皆様からの祝福を
二次会が終わる頃には、加賀は疲れ果てていた。
対する今日子はまだ咲きたての花のように笑っている。
「なんでそんなに元気なんだ……」
「日頃の行いが良いからじゃないかしら」
「……俺は悪いとでも?」
「あら、自覚がないの?」
悪戯っぽい光を目に浮かべて囁く。加賀はむっつりと唇を曲げた。
式自体は、順調だったのだ。新婦はそれこそ花のように美しかったし、初夏の空は快晴、気温も陽射しも申し分なかった。
着慣れぬ礼服の裾を踏んで転ぶようなこともなかったし、手が震えて指輪を嵌められないなんてこともなかった。
問題は二次会だ。顔が広く、人懐こい加賀のこと、年上の友人から歳若い同業者まで、親しい人々に囲まれる宴になったのだが。
ちょっとばかり、親しすぎた。
AOIスタッフ一同による胴上げのあと、盛大に噴水の中に投げ落とされる、という手荒い祝福を、
止めるどころか面白がって手を叩く人間ばっかりで、
仮にも新郎なんだぞ俺は!と抗議したところで一人の味方も見つからなかったのだ。
ついさっき愛を誓ったばかりの新婦まで、憮然を通り越して呆然としている加賀を見て、腹を抱えて笑っている始末。
「まあ、いいんじゃないかしら。今日ので思い知ったでしょう、自分の日頃の行いへの、評価」
くすくす笑う今日子は相変わらず綺麗で、未だに塩素のニオイが取れない自分とは随分な違いだ。
そう、だから、ひとしきり笑い転げたあと漸く手を差し伸べてくれた花嫁を、腹いせに噴水の中に引きずり込んでやろう
――なんて邪心は忽ち潰えたのだった。
憎らしいような誇らしいような複雑な気分で今日子を見つめる。
「……俺の行いはともかく、女王様が臣下の皆様からものすごく愛されてるってのは理解した」
「光栄の極みだわね」
「それを脇からかっさらったんだから、恨まれても当然ってか、」
絶望的な溜め息を吐く。
がっくりと肩を落としたままの加賀を見て、今日子はますます面白そうに笑った。
◆
5、おふたりでどうぞごゆっくり
「ああもぅ、幸せすぎて死にそう。」
力いっぱいそう言い切ると、彼は深々と今日子の胸に顔を埋めた。
バカ、と笑って抱きとめてやる。見た目よりずっと柔らかい、真っ黒な髪の、感触。
「寝ぼけてるの? いくらなんでもらしくないじゃない、」
猫の背を撫でるように髪を梳きながら、囁く。
「貴方が死ぬのは、サーキットの上でしょう?」
「だな」
悪びれもせずに笑い返して、彼は顔を上げた。目が合う。
「でもちょっと、きょーこさんの胸の中、ってのも悪くない気がしてきた」
「お断りだわ」
「メーワク?」
「新婚初夜から未亡人だなんてイヤだもの」
片眉だけを上げて、言ってやる。
「俺も、死んでも死に切れねーなぁ、」
もう一度深く顔を埋めて、くぐもった声で彼は笑った。
「よーやっと手に入れた恋女房だってのに、ほんの一晩でオシマイなんてのは、」
「縁起でもないこと言ってないで、起きたら?」
厚いカーテンでも遮れない初夏の陽射しを透かしながら、今日子はちょっと顔を顰めた。
寝不足だ。明るすぎる外が少しだけ恨めしい。
「うわ、すげーいい天気。太陽に当たったらそれこそ死にそうな気分なんだけどな」
「悔しいけど同感だわ」
「昨夜のはちょっと激しすぎた?」
「バカ」
軽く額を弾いて、唇を尖らせる。
「冗談抜きに、もう起きましょう。泳ぎに行くにはぴったりの天気だもの」
「おー、張り切ってんねぇ女王様」
「気に入ってるもの、ここのビーチ。加賀くんは初めて?」
「南太平洋そのものがハジメテ」
「じゃあ尚更楽しみね。魚が多くて眩しくて、ほんとに天国みたいなのよ、ここの海」
「シアワセすぎて死んだかと思っちゃうくらい?」
「まだ言ってるの?」
眉を寄せてみせると、加賀はけらけらと笑ってモウ言イマセン、と両手を挙げた。
「ここからまだまだ、幸せになる予定だもんな。シアワセ死になんてしてられませんっての」
「宜しい」
それこそ女王様然と微笑んで、今日子は新米配偶者の額に口付けた。
[2010年3月]