Y染色体上のアリア(―― And they take after their Father.)
「おれの、ホントのおとーさんてどんなひと?」
孫の爆弾発言に、走一郎は思わず飲んでいたコーヒーを噴き出しそうになった。
堪え切れてよかった。危うく祖父の威厳を台無しにするところだった。
そんなことをいじましく考えながら、平静を装って聞き返す。
「いきなりどうした、叶」
「だって、にーちゃんがそんなのおかしいっていうから」
「……『そんなの』というのは何なんだ」
眉を寄せて、叶二郎の背後に目をやる。3歳違いの兄は子どもらしからぬ冷静な目をして、黙ってそこに突っ立っている。
「……ドラマ見てた」
「ドラマ?」
ぽつりと口を開いた悠一郎に鸚鵡返しで訊ねると、代わりに叶二郎が答えた。
「きんようびのおひるにやってるやつ。『ぎんのひかりさすにわ』っていうの」
時間帯から考えて、所謂ソープオペラの類だろうか。
今日子も加賀もそういったドラマは好まない筈なのに、この兄弟がそんなものを見ているとは、意外だ。
訝しげな表情に気付いたのだろう、悠一郎が顔を上げて言った。
「古賀ちどりっていうモデルの人と、黒崎出水って歌手が出てるんだ。どっちも、うちの学校ですごく、人気があるから」
「それで、見てるのか」
「毎回ちゃんと見てるわけじゃないんだけど。再放送が日曜日にあるから、それで」
「でもさ、こがさんてびじんだよね! おれ、けっこーすき!」
目を輝かせた叶二郎に、子どもでも男は男か、と苦笑して、走一郎は続きを促した。
「で、そのドラマがどうしたんだ」
「えーと、ふゆつぐくんがOがたなの。でもはるきくんがABがただからね、なつみちゃんがないちゃったの」
「主人公の血液型が本当はO型だってことが分かって、お父さんだと思ってた人が本当はお父さんじゃないってことが分かったんだ。
今週の、第23話で」
叶二郎の自信たっぷりな説明を、悠一郎が後ろから補足する。なるほど、如何にも連続ドラマにありそうな展開だ。
「おれはOがたで、かがくんはAがたなの!」
「で、お母さんはB型だから、どっちにもOがないのはおかしいと思って」
「だから、ホントのおとーさんはちがうひとなんでしょ? おじーさん、しってる? どんなひと?」
「…………」
叶二郎のきらきらした瞳を見て、目眩がした。
自己完結して勝手に衝撃を受けられても困るが、こんなにわくわくされるのも何と言うか――複雑な気持ちになる。
「やっぱり、お母さんには聞けないと思って。それでこっちに聞きに来たんだ」
悠一郎の方は平静極まりない顔だ。これはこれで怖い。
「……ちょっとそこに座っていなさい」
はーい、と無邪気な声をあげて、兄弟は揃ってソファに腰掛けた。雰囲気はだいぶ異なるが、こうして並ぶとやはりよく似た兄弟だ。
一際目立つ共通点は、癖の強い真っ黒な髪と、闊達に動く大きな目。
間違いなく父親似の特徴だが、まだそれが客観的に理解出来るような段階ではないのだろう。
無理もない。多分に早熟で利発な子どもたちだとは言え、何しろ悠一郎はまだ10歳、叶二郎に至っては7歳になったばかりなのだから。
……余所で妙なことを口走ってはいないだろうな。
不安になって、思わず走一郎は溜め息を吐いた。だから言ったんだ、とぼやきたくなる。
ただでさえ滅多に家にいない父親を、母親は「加賀くん」と恋人のように呼ぶし、
偶に一緒に過ごす場所は大抵、家ではなくて日本国外のサーキット。
一般的な「お父さん・お母さん」の枠からは、彼らの両親はかけ離れすぎているのだ。
せめて小学校を出るまでは、両親の揃った家で育てるべきだ。
そう主張した走一郎に、時代錯誤もいいところだわ、と、今日子は母親似の綺麗な眉を顰めた。
保守的色彩の強い葵の長女に生まれていても、どうやら走一郎とはもう「世代が違う」らしい。
結局、週末婚どころか月末婚にもならないような形で、しかも配偶者とは別々の姓を選んで、娘は新しい世帯を持った。
それが間違いだったとまでは言わないが、やはりこうして多少のズレは出て来てしまうとみえる。
もう一度溜め息を吐き、本棚の奥から古びた参考書を一冊引っ張り出して、走一郎は居間へ戻った。
「しんじょーくんがおとーさんだったらいいなー、おれ」
「それはたぶんないと思うけど。片桐くんかも知れない」
……また、不穏極まりない会話をしている。
聞かなかったことにしよう、と自分に言い聞かせながら、走一郎は子どもたちの向かいに腰を下ろした。
「簡単に説明しよう。ここを見れば解ると思うんだが」
言いながら、参考書を開く。生物総合図説。今日子が高校生の頃に使っていた副教材だ。
既に20年以上前のものだが、遺伝の仕組みと遺伝子のつくりについて、根本的な理論は変わっていない。
思った通り、開いたページにはお馴染みの図表が載っていた。
「『血液型の遺伝』?」
覗き込んだ悠一郎が、すかさず項目名を読み上げる。遺伝、という漢字にも全く戸惑わない辺りが流石の生意気さだ。
「そう。この表だ。ところでお前たちの知っている血液型は、全部で何種類ある?」
頑固な理屈屋の悠一郎と、敏感で思い込みの激しい叶二郎。迂闊な遠回りをすると余計に話がこじれてしまう。
小学生には早すぎる内容だが、いっそ血液型の発現する仕組みから教えてしまった方が、
この兄弟に対しては話が早いと走一郎は踏んだのだ。
「えーと、Oがたと、Aがたと、」
「4つだね。A型、B型、O型、AB型」
指を折りながら二人が数え上げる。
「そうだ、その通り。A、B、O、ABの4種類だな。だが」
言葉を切って、走一郎は図表の上部を指差した。ふたつの頭が素直にそれを覗き込む。
「見なさい、本当はこれは、6種類あるんだ。AA、AO、BB、BO、OO、AB、の6種類」
「ほんとだー」
「……AAとAOと、どっちも呼び方はA型、ってこと?」
流石に悠一郎は呑み込みが早い。内心舌を巻きながら、走一郎は頷いた。
「そうだな、今、悠一郎が言ったことが正しい。同じように、BBとBOを併せて、B型と呼ぶ」
言いながら、机に広げたメモ用紙に、大きな丸をふたつ書いた。片方にA、もう片方にBと書いて、丸同士を直線で繋ぐ。
「さて、このふたつの丸がお前たちの親だとしよう」
「おれわかった! こっちがかがくん! Aがた!」
叶二郎が声をあげる。
「Bの方がお母さんだね。B型だから」
「そうだ、いいぞ叶。悠も流石だな。さあ、ここからが問題なんだが、この『A』は、AAなのかAOなのか、どちらか判るか?」
「えー、わかんない!」
頬を膨らませた叶二郎と対照的に、悠一郎はじっと紙面を見ている。父親に似た猫のような瞳が、時折閃くように瞬く。
「……ヒントをもらってもいい?」
やがて、ぽつりとそう言った。正解を教えてもらうのではなく、あくまで自力で答えまで辿り着きたいということらしい。
頑固ではあるが、感心な姿勢だ。
「そうだな、こうすればヒントになるかな。これと、こっちの図表を見比べてみるといい」
紙を引き寄せて、下部に小さめの丸をふたつ書き足した。
枝分かれした直線で繋ぎ、上部の丸を繋ぐ直線にも線を引っ張ってから、片方にはAB、もう片方にはOと書く。
「あ、これ、にーちゃんだ、ABがた! こっちがおれ!」
勘のいい叶二郎は、書き終わる前に紙面を指差して叫んだ。それを聞いた悠一郎が、そうか、と目を見開く。
「……わかった」
「どんなことが分かった?」
問うと、慎重な顔付きのまま悠一郎はメモ用紙に手を伸ばした。指先が下部の円を示す。
「ここ。叶の、Oのとこ。Oとしか書いてないけど、本当はこれ、OOなんだよね」
ほう。思わず口笛を吹きたくなるような鋭さだ。けれど表面上は今までと同じトーンのまま、走一郎はそれで、と促した。
「どこにもOがないのはおかしい、って、さっき言ったんだけど、……あるんだ。ここに」
指先が動いて、上部の円を指す。
「お母さんがBOで、加賀くんがAO。このOをひとつずつもらったら、叶がOOになる」
「すっげー! にーちゃんあたまいい!」
弟の惜しみない拍手に、悠一郎はちょっと面映いような顔をした。照れた顔は、歳相応の可愛らしさだ。
「じゃ、にーちゃんはこのAとこのBでできてるんだー。へー、すっげー!」
図表とメモ用紙を見比べながら、叶二郎も大きく頷いている。ABO式血液型の遺伝の仕組みはすっかり理解してしまったらしい。
勘の良さと呑み込みの早さは、下手をすると悠一郎をも上回るくらいだ。
「叶も、よく解っているようだな。さて、どうだ二人とも。
まだ、『ホントのおとーさん』が別にいると思うか?」
「ううん! 思わない!」
「……大丈夫。おかしくないって、分かった」
頷く子どもたちを見て、走一郎は顔に出さずに安堵の息を吐いた。
よかった。おかしな誤解をここで解くことが出来て、本当によかった。
やっぱりお母さんには聞けないと思って、と悠一郎は言っていたが、
それでうっかり外部の人間にでも質問していたらと思うと冷や汗が出る。
「……よかった、加賀くんがお父さんで」
思わず目を閉じたその瞬間に、ぽつりと悠一郎が呟いた。ん、と思って目を開けると、先ほどと同じような、少し照れた顔をしている。
「やっぱ、おれ、加賀くんのこと好きだもん」
「おれも! かがくんかっこいーもんね!」
しんじょーくんだったらいいな、などと不謹慎なことを口走ったのは既に忘れているのか、叶二郎が無邪気に兄に賛同する。
やれやれ、だ。走一郎は苦笑を微笑に変えた。
どうやら心配なさそうだ。一般的な枠などなくても、孫たちの中にはしっかりと家族愛が根付いているらしい。
「さあ、悠も叶も、そろそろ向こうに戻りなさい。その加賀くんから、そろそろ電話があるんじゃないかね?」
「あ、そうだ! おかーさんにしかられちゃう!」
「うわっ、待てよ叶、おれも帰る……!」
飛び上がって駆けて行く子どもたち。父親似のその後ろ姿を見ながら、走一郎はもう一度、やれやれ、と、笑った。
[2010年5月/for Ms. MUTO as commemoration of 3000-hits]