たぶん、アイツも
「ゴメンナサイ、ばれちゃったみたい。もう帰らなきゃいけないわ」
至極残念そうにそう言った彼女に負けないくらい、残念な気持ちでいっぱいだった。
小走りに遠ざかってゆく小さな背中を見送って、狭い運転席で溜め息を吐く。
あーあ、オレってかっこわりぃ。
あんな大袈裟な罵り合いまでやって、派手に出て来たのだ。のこのことチームの宿泊先に戻りたくはない。
けど、一人でどっかに泊まるなんてのも真っ平だ。
かといって徹夜で遊んでは、いくらフリー走行とは言え明日の仕事に差し支える。
この時間からでは、別の女の子を探すのも正直、面倒だし。
でも戻ったら、ハイネルが。
きっと鬼の首でも取ったように散々罵ってくれるんだろうしなぁ。……ヤダなそれ。
さてどうしよう、と顔を上げた途端、自分の名を呼ぶ声が耳を打った。
「ジャッキー! 迎えに来てくれたのね?」
「え」
意外過ぎて二の句が告げない。息を切らしながら助手席の扉を開けたのは、サーキットでは見慣れた華やかな美貌。
見間違えるはずもない、AOIの若き女王様。
「嬉しいわ、ありがとう。さあ、帰りましょう」
「え、あのぉ」
「帰りましょう?」
にーっこりと、助手席に座った彼女は微笑んだ。女王様の綽名に恥じない、威厳溢れる笑顔で。
……根が小市民の彼は、ハイ、と素直に頷くことしか出来なかった。
◆
彼女の髪の香りだろうか。隣から微かに漂ってくる甘い香りに、少し、目を細めた。
どこへ、とも訊かずに真っ直ぐ車を走らせて、数分。
ここまで送って頂戴、と、著名な三ツ星ホテルの名前をナビゲーションシステムに打ち込んでから、今日子は深く息を吐いた。
溜め息、だよな、コレ。横目で、ちらりと様子を窺う。
「ごめんなさいね、こんなことさせて」
「……どしたの?」
「逃げて来たのよ」
綺麗な横顔を思いっ切り顰めて、吐き捨てる。穏やかでない物言いにぎょっとする。
「逃げてって、そりゃまた……」
「しつこかったの。送らせろって。酔ってなんかないし、一人で帰れるって、何度言っても」
へー、男か。そういえばさっき、道端に未練がましく立ってるヤツがいたっけ。
そこまで考えて漸く気が付いた。
ああ、それでか。いつもかっちりしたスーツ姿の女王様が、今日はやけにふわふわしたワンピースを着ているじゃないか。
広く開いた胸元の、ほっそりした鎖骨が扇情的だ。意外なくらい。
「こっちが嫌がってるってことくらい、顔つき合わせて食事をしたら判りそうなものじゃない?
それをあんな、しつこく。……腕を掴まれたときは、ぞっとしたわ」
心底からの嫌悪の表情で身震いする。
「……断ればよかったジャン? はじめっから」
「断れるなら苦労しないの。親が向こうの味方についてるって、厄介なもんよ」
「……大変ですネー」
そういやハイネルも、この女王様とお見合いさせられたコトがあるんだよな。
あの偏屈人間が標的になるくらいだから、そりゃーもう降るようにあるんだろうな、お見合い。
「……やだわ、貴方までそんな顔することないじゃない」
くすり、と今日子が笑った。気の毒になって、思わず自分までしゅんとしてしまっていたらしい。
自分の素直さが可笑しくて、つられて笑った。
「それとも、貴方にも何かあったのかしら。飲み歩きたいなら車で出て来たりしないでしょうし……。
これ、一体誰の車なの? 大体、明日は1回目のフリーでしょう?」
あ。そうかこの人、関係者だった。微妙な笑いを、苦笑に変える。
「予選前までくるとサスガに出歩けないんだけどさぁ、フリーの間は夜遊びも許容範囲なんだよね、一応」
「こんな時間まで?」
「いやーちょっと……まーたやりあっちまってさ、ウチの監督と。ちょーっとね」
「…………?」
微かに今日子が眉を寄せる。自分の口調に、深刻さが滲んでしまったのではないかとひやひやする。
口元を一層軽薄に緩めて、続けた。
「なんてったって、ハイネルちゃんの大っ好きな日本なんだぜ? せっかくだから少しは遊べばいいと思ってさ、誘ったワケよ。
ただでさえアイツは二足のワラジ履いて働きっぱなしなんだしさぁ、根詰めてカラダ壊してちゃ意味ないっての」
今日子が、ふ、と眉間の力を抜いたのが分かった。ほんとね、と呟いた相槌には、確かな共感が込められている。
ああ、そうか。そうだ、この人もハードワーカーだった。
母国GPに向けていちばん忙しく駆け回りたいところに、見合いまがいの強制的デートなどさせられているのだからさぞかしだろう。
「やりたいこととやるべきことに、時間を全部注ぎ込んでしまうのよね。……窘めてくれる人がいるのは、幸いなことだわ」
「だろぉ? ソレを冷たーく断ったりするもんだから、なんつーの、売り言葉に買い言葉ー、っつーか。
意地んなっちゃったんだよね、こっちも」
「相変わらずなのね、」
「あいかわらず?」
優しい呆れ声に、ちらりと視線を向ける。
「貴方たちの喧嘩……というか、じゃれ合いというか」
「じゃれ合いねぇ」
どーなんだろうな、実際。
「そーんなカワイイ言葉でまとめてもらえるようなもんなのかなぁ。
ハイネルは本気で殺意を抱いてんじゃないかと思うことがあるよ、正直」
「そんなはずないわ」
「そお?」
視界の端に映る彼女は、小さく微笑んでいる。
「チームですもの。同じ光を、目指しているんでしょう。皆、思いは貴方と一緒よ」
ああ、やっぱり。同じなのだ。彼女も。勝利の夢をドライバーに託して、共に戦っている。
「だから、本当に嫌がっているはずがないわ。信頼してなかったら、託せないでしょ?」
「……信頼してんだね」
その横顔があんまり綺麗だったから、言ってみたくなった。
「え?」
「キョーコは、ホントに信頼してんだね、って。自分とこのドライバーを」
「ええ。――信じてるわ」
花が咲くように、笑った。ミラーに映る微笑みを、目を細めて見つめる。
いつもは高圧的で、冷たいくらいに見える女なのに。自分とこの仲間には、いつもこんな顔を見せてんのかな。
「? どうかしたの?」
鏡越しの視線に気付いて、今日子が瞬きをする。赤信号をいいことに、へへ、と笑って、振り向いた。
「いや、そーやってのろけてると美人だなぁと思ってさ!」
「な、のろけてると、って何よ!」
ぱっと首筋まで赤くして、今日子は柳眉を吊り上げる。あーいいねぇ、色っぽい。
アイツも、こんな顔してくれんのかな。うちの、真っ直ぐで意地っ張りで負けず嫌いの監督、兼、チームメイトもさ。
「お、もう着くぜホテル。ほら」
「あ、本当」
青信号の向こうを顎で示すと、素直に気を逸らしてくれた。
おーおー、シタタカモノかと思いきや、こんなところは単純なんだな。かーわいい。
「ありがとう。……助かったわ」
「いーのいーの! お礼に今夜一晩、熱ぅい夜を提供してもらえれば! なっ、このまま部屋まで、ゼヒ♪」
「貴方って人は……」
呆れ混じりの溜め息に、笑う。
「ジョークよ、ジョーク! おとなしく帰りますって!」
そうよね、と表情を緩めた今日子が、囁く。
「私が言うのもなんだけど、……頑張って頂戴」
「うっひゃー、アオイの女王様に応援してもらっちゃった! すっげー!」
「もう、」
大袈裟な反応に苦笑しながら、今日子は助手席の扉を開けた。風が流れ込む。髪の香りが、ふいと、薄れる。
「おやすみなさい。貴方のところの監督にも、宜しくね」
「オヤスミ〜。キョーコんとこのドライバーたちにも、ヨロシク言っといてねー」
手を振って、去っていく背中を見送った。……さっきも見たっけな、こんな光景。
でも、今度は溜め息は出ない。がっかりなんかしない。
どんなにバカにされようと、罵詈雑言を喰らおうと、やっぱりチームの宿泊先に帰ろう。
――信じてるわ。
今日子と同じように、アイツもそう思ってくれているんだろうから。
「……あー、でも、ちょっと、」
声に出して、呟く。
「もったいなかった、かなぁ!」
意外なくらい可愛かった女王様の赤面を思い出して、グーデリアンはひとりにやにやと、笑った。
[2010年5月]