当山は弘治3年(1555年)に本寺埼玉県入間群金子村(現入間市) 瑞泉院第4世本室徳源大和尚を開山として建立される。その後、江戸時代末頃に遠隔地との理由で、瑞泉院の本寺である山梨市矢坪 永昌院を名代の本寺として現在に至る。
田畑20町歩の黒印地を領し(慶長8年・1603年)隆昌を誇ったが、昭和20年(1945年)の農地解放により現有境内地と墓地、約3000坪が残された。
6世善与門積大和尚代に移築した本寺永昌院の旧本堂は平成15年(2003年)に解体されるまで実に300年以上の歴史を刻んでいた。その部材や建具の一部は現開山堂に使用、保管されている。
同じく6世代に建立された山門は明治43年(1910年)頃、台風により倒壊する。山門内に祀られていた辨財天、十五童児は本堂に安置されている。
平成17年(2005年)に現在の本堂、開山堂が新築される。
当寺の本尊は千手観世音菩薩。
本堂には平成17年の落慶にあわせ新しい千手観世音菩薩が祀られている。
5世長山蓋天大和尚代(元禄〜宝永)に安置されたと記録されている本尊像は現在、開山堂に安置されている。
長源寺を開かれた本室徳源大和尚は永昌院開山一華文英大和尚の弟子四徹の一人と云われた。
埼玉県瑞泉院第4世であったが弘治3年(1555年)5月、当山開基中山兀原救蟹法印和尚に請われ曹洞禅寺として長源寺を開堂したと古文書に記されている。
当山開基、中山兀原救蟹法印和尚の出生は明らかではない。伝説による記録は寺に現存する明治18年(1885年)に作られた掛け軸と、その中に寛政2年(1790年)の元本があったことが明記されているだけである。
永禄3年(1560年)1月17日に示寂。