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因果応報(カルマ)の法則



8 「この世に存在する不公平、矛盾それらに答えを示してくれるのが因果応報(カルマ)の法則です」

『この世の中は不公平で矛盾だらけ、善人が苦しんでいるのに悪人が楽しんでいる、幸せになりたいのに不幸が続く、こんな世の中は何も信じられない、神も仏もないのだ』と言う人がいます。

因果応報(カルマ)の法則から見るとあらゆる事に不公平も矛盾もないのです。

この法則はこの世(物質界)の定義(理論)だけではすべてを説明(理解)出来ません。
この世限りの価値判断(損得、幸不幸、苦楽、悲喜、正邪等)によって結果をみると不公平に感じる事にもなります。

しかし、前世や過去世等の命(人間、霊魂)の在り様に応じて、また自身(霊魂)の目指す目的に応じて、霊的世界において今生の命(人間、肉体)を、(通常)自ら選択して生まれ出てきたのです。そして、地上世界誕生(再生)の法則に従って、(通常)その事は、地上意識(顕在意識)の発生、発達と共に、すべて忘れてしまいます。ですから、どのような理由で今が在るのか、この世に生活している間は定かに思い出す事は(通常)困難です。

それは今生の人生を心機一転して、白紙の状態で初めから行う(精進努力する)為の恵みと言えます。この世(地上界)に生まれたという事は、浄化すべき業(カルマ)か、あるいは果たすべき課題、使命等のなすべき事か、その両方共かの自分なりの大切な目的を持っているという事です。

たとえば、何らかのハンデ(環境苦や心身の病気や障害等)にある人は、それが自らの大きな霊性向上の為か、あるいはある特別な親近の人の霊性向上の為か、あるいは多くの人々の霊性向上の為か、あるいは前世等か今生での自らの解消すべきものの為か、それらの混合したものの為か、あるいは他の通常は思いもつかぬ事の為か等々、定かに知る事は困難なのです。いずれの可能性もあり得るのです。

ですから、今何らかのハンデにある人を否定的、独断的な見方で決め付ける事は許されません。同じ仲間(同胞)として尊厳をもって交わり、善意を尽くすべきであるのです。そして、ハンデのある人は今の自分をしっかり認めて、その人生に最善を尽くして生き抜くことが望まれます。やがて向上の後には思いもかけなかった成果(喜び)が待っています。

確かな事は、誰にとっても、今生の命(人間、霊魂)は、自分にとっての霊性向上の為に大切な人生を生きているという事なのです。素直に誠実に生き抜く事で自身(霊魂)の大きな霊性向上が望まれるのです。

そして、自分に出来る限り(範囲)の善行(利他愛)を尽くす事が、この世に生まれ生きている真の意味(目的)なのです。それこそが真の生きがい(喜び)になるのです。それこそが自己の大きな霊性向上につながります。

その善行(利他愛)の機会(チャンス)は、誰にも常にあり得るのです。あなたのその優しい微笑み一つで、他の人の心を救う事さえもあり得るのです。その志し(心がけ)のある人には、人生を通して何時でも(赤子から最後の日まで)その機会(チャンス)はあり得るのです。

そして人間は誰も、やがて必ずこの世の最後(肉体の死)を迎えます。今生の命(人間、霊魂)にとっての善悪の結果の現れは、その死後に霊的世界において自らも評価を行う事になります。

その時に、自らが最善を尽くした良い人生と思えるような生き方をしておきたいものです。その為にも今を、今日を大切にして正しく生きて行く事(善行)が求められます。

因果応報(カルマ)の法則は、誰にも公平に作用しています。この世限りで清算されなかった善い事も悪い事もやがて必ず帳尻(報い)は合う事になるのです。



9 「この現象界(この世を含む)の性質は、空相(有でもなく無でもなく現象している世界)の法則(真理、摂理)の現れです」

この世の現象を深く観察するとその一端は見えてきます。
この世に現れるすべての事象(物的現象)には真の実体(実在)はありません。身体(肉体)に付随した本能的我見、我執も空相の現れです。
この世のすべての事象は現れて(物的に現象して)やがて消え去る定め(法則)の基にあります(空相)。

通常、人間は自分自身の身体(肉体)を掛け替えのない唯一の自分自身(実体)であると感じています。
そしてそれは現世的には間違った事とは言えません。
なぜならこの世に生まれて、生き生きと(生身の人間として)様々な体験をする事が、この世を生きる真価(存在理由)であるからです。

しかし、この世を生きていると実感(意識)しているのは、肉体そのものではありません。肉体に宿った真の自分自身(霊魂)です。肉体そのものは単なる物体です。肉体は霊魂がこの世で活動する為の道具(表現手段)にすぎないのです。

我々は確かに、今の自分(肉体)は実在している(実体がある)と感じて生きています。しかし、それが実は(本質において)単なる現象体(この世の物質は素粒子の一時的集合体)であることも事実です。現象体はやがて形を変えて、その姿は消え去ります。

一端の例として、二百年前の人々は今はすべて居なくなっています。今の人々(我々の存在)は二百年後にはすべて居ないでしょう。
そういう存在は居た(現象していた)とは言えても、実体のある実在であるとは言えません。そこに現象界(この世を含む)の本質(空相)の一端が見られます。

以上のような見方から、現象界(この世を含む)の本質を表現してみますと、実体が有るとも言えないが無いとも言えない(一時的に現象している存在)という『空なる存在』の状態が見えてきます。

これに対して実存実在の世界は実相と表現されます。
実相の世界の存在(真の実体)は、現象体のようにやがて消え去るというような事は決してありません。
心の奥の自己本性(霊魂、永遠のいのち)こそが、その世界に通じている我(真の自分自身)であるのです。


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