私たちの「わだつみ会」(日本戦没学生記念会)には、昭和二十四年(一九四九年)に出した『きけ わだつみのこえ』におさめられたもののほかに、多くの手記の写しが保管されている。数年前、私はそれらを読む機会をもったが、もはやその用紙――終戦直後のころの粗末な原稿用紙――は古び、変色していた。戦争はかなり遠い過去のことになり、とくに若いひとびとはほとんどまったく戦争のことも知らなくなってきているのである。それゆえにこそ、これらの多くの声をこのまま沈黙の底に沈めておくに忍びないということを、会員の諸君にはなしてみると、もとよりみなは、前々から同じことを感じ、考えていたのであった。このうちの一小部分をでも選び出して『きけ わだつみのこえ』につづく本をつくろうという計画が、光文社との協同によってたてられた。
しかし、もう一度あらたに社会から募ることも、すべきであるということになった。その私たちの呼びかけの声はけっして強大なものではなかったが、それに応じて多くの手記が寄せられたのは、日本の多くのひとびとが、それらの手記とともに戦争の苦悩をまだかたく心底に蔵していることを感じさせ、私たちのこの仕事への熱意をいっそう
高めさせた。
その多くの手記について、どのように選択し、どのよ うに編集するかということは、その一つ一つが貴重な ものであるだけに、たやす い問題ではなかった。それ については、この本の終わ りの「あとがき」が語って
いるから、ただここでは、戦争体験者と未体験の若いひとびととの双方を含む編集委員会をつくり、双方の観点を総合しながら、多くの検討をつみ重ねながら、巨視的に「満州事変」から「太平洋戦争」までを日本の十五年戦争として把握し、その長い煉獄下の学徒兵の姿を、できるかぎり、客観的に浮かびあがらせようとした、ということだけをしるしておく。時期的に古い昭和十年にすでに世界の大戦を憂い、「必要は正義であるか」、「力は正義であるか」と問い、「祈らずにおられましょうか、戦雲収むるの日一日も早からんことを!」というように、予言的な響きをもつ第一部冒頭の文章から、最後の、昭和二十年一月の、死の前のころとおぼしい「生あらばいつの日か、長い長い夜であった、星の見にくい夜ばかりであった、と言い交わしうる日もあろうか‥‥」という文章までが、私たちの上述のような選択編集の意図をはたしてくれていることを願うばかりである。
すでに言ったように、この一冊におさめられたものは、多くの声のなかのごく一部分である。いわば噴水の先端であり、この底には深くひろびろとした大地下水が流れている。私たちはこのさい、読みながらもここに出すことのできなかった多くの手記、また、どこかにまだ保存されているだろうが読むことのできなかったもの、また、もはや永久に消えてしまった手記や声に、深く思いをいたさなければならない。
もとより、ここに登場しているひとびとの 人間観・生死観・戦争観等は、一様であろうはずもない。そのことは、この学徒兵たちはすべて、戦争の重圧にもかかわらず完全にそれに家畜化されおわることなく、個としての自己を守りとおそうと、必死の努力をしたのだということを意味するであろう。そのことのためにも、これらの文章は貴重である。またそれゆえに、これらはその多様性のうちに、何らか一脈相通ずるものをもっているということにもなる。つまり、ここにあらわれているものは、さまざまに異なる人間像の群れであるとともに、それらが相集まって、ある一個の大きな姿――戦時下における「学徒の像」というものを造成しているので