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数えてみたら48ありました。記述のない資料もありましたが、行政編しか刊行されてなかったりするので仕方ないですね。   
しかし、(旧)64市町村中48とは半数以上です。それだけ地域に密着している行事という事なのでしょう。
そしてここまで調べてスッキリです。
結論がない、などの詰の甘さ(笑)のは御愛嬌にしてやって下さいませ。
上記表に関しての補足です→芦安村・櫛形町・甲西町・白根町・若草町は市町村合併により、現在は南アルプス市となっています。
             今回は既刊の市町村史誌を参考した為、市町村バラバラで書かれています。その方が見易かったのですね。
市町村名 書名 ページ 表記名 行事内容 備考 掛け声 現在の行う日
明野村 北巨摩郡 明野村誌 記述無し
大泉村 北巨摩郡 大泉村誌 下巻 974-975 十日夜 団子や餅を供える。甲州枡一升分の大きなオスワリを縁側に供え、葉のついたままに大根2本と柿もいっしょに供えて線香をあげる。人参・牛蒡・薩摩芋なども供えられる事もある。子供が「アーゲタカイ、サーゲタカイ」と唱えながらお供えを貰いにやってくる風習もある。『大泉村年中行事』には「臼ぬき」と称して新米で一臼の餅をついて1つのオスワリをつくり、これを台所に俵2〜3俵積み重ねた上に供える。餅だけではなく、柿や栗、大根、枝豆そば等もいっしょに供えて十日夜を祝った事もあると記述されている。 百姓の神が山に帰る日だとされ、神に対して感謝の意を表すものだとされている。また十日夜を過ぎると大根はとってよいという伝承も残されている。 「アーゲタカイ、サーゲタカイ」 記述無し
小淵沢町 北巨摩郡 小淵沢町誌 下巻 907 十日夜 新米で餅をついて田の神に供える。 旧暦10月10日に当る夜に行う。田の神が天へ帰る日だと考えられていた。 11月の旧10月10日に当る日
須玉町 北巨摩郡 須玉町史 民俗編 491-492 トーカンヤ 大きな鏡餅を作って台に乗せ、葉付きの大根2本を添えて縁側に飾る。鏡餅を蔵の俵に供える家もある。 田の神や作神が山や天に帰る日という。小尾では金峰山様が天に帰る日だという。日向では地の神が柿の木から空に上るといわれたり、餅を背負って半季奉公に出掛けて帰るのは四月だとか、地の神は出雲に行くと伝えられる。 11月中旬の旧暦10月10日に当る日
高根町 北巨摩郡 高根町誌 通史編 下巻 821 十日夜&とうかんや 餅と大根などを月に供する。 「十日夜、十日夜、十(とう)の餅を食いてえな」と子供が言った。秋の実りに感謝し、山の神に山に帰っていただいた。 旧暦10月10日
長坂町 北巨摩郡 長坂町誌 下巻 839 十日夜 饅頭を田の神へ供え、収穫に対しての感謝祭を行う。 田の神が天へ帰る日とされている。個人の家の行事として行われる。 旧暦10月10日
白州町 北巨摩郡 白州町誌 1351 とうかんや 田の神に新米の餅を献ずる。子供が藁の小束に縄を巻いた藁鉄砲を持ち、打ち揃って「トウカンヤノワラデッポウ ヨウメシクッタラブッタタケ」と叫ぶ。家の庭や道路を叩いて回ったが現在は行われていない。 台ヶ原・白須・前沢・松原・竹宇・横手で行われ、田の神が山に帰る日だという。農感謝と月見の日とされる。 「トウカンヤノワラデッポウ ヨウメシクッタラブッタタケ」 旧暦10月10日
双葉町 北巨摩郡 双葉町誌 994 十日夜 餅を搗き田の神に供える。飼い馬にも与える。 炬燵を立てる日であり、餅を炊いた火を必ず入れた。 11月中の旧暦10月10日
武川村 北巨摩郡 武川村誌 下巻 967 十日夜&とうかんや ボタモチか新米で餅をついて神棚に供える。出居口に野菜、果物、薄や野花を供えたり、戸を細めに開けておいた。 昔は案山子あげといった。田の神が田から引き揚げる日だと考えた。 11月10日
芦安村 中巨摩郡 芦安村誌 1040 十日夜&とうかんや その年に収穫された米で餅をつき、農の神に供えて収穫の感謝をする。家人や親類縁者、非農家にも配る。 旧暦の10月10日の夜に行う。比較的水田の少ない芦安村では全村にわたってこの行事が行われる事もなかった。古くは米以外の農作物に対する収穫感謝をし、同時に田畑の作業に一段落つける節目とした。 記述無し
櫛形町 中巨摩郡 櫛形町誌 1707 十日夜&とおかんや 餅をつく。 陰暦の10月10日であったが、今は11月10日に行われる。地域によっては11月23日の新穀感謝祭に行う所もある。水稲をする地域の農家で多く行われる。また、炬燵をたてるひ(炉開き)とされている。 11月10日/11月23日
甲西町 中巨摩郡 甲西町誌 1791 十日夜&とうかんや 餅をつく。 「一年中で一番うまい餅は十日夜の餅」と言われる。炉開きといって炬燵をたてる日とされ、餅をついた竈の火を入れれば火事の災いがないとされる。 11月10日/11月23日
敷島町 中巨摩郡 敷島町誌 645 十日夜&とうかんや 餅をついて神に供え、食べる。 秋の実りを作神に感謝する。 11月10日/11月23日
昭和町 中巨摩郡 昭和町誌 1589 十日夜&とおかんや 新米で餅を搗き、神に供えて食べた。非農家にも配った。 収穫感謝祭であり、田の神が山へ帰って山の神になる日だと考えられていた。 10月10日
白根町 中巨摩郡 白根町誌 記述無し
田富町 中巨摩郡 田富町誌 1138 十日夜 新穀で餅をついて神に供え、食べる。 秋の実りを作神に感謝する。 11月10日
玉穂町 中巨摩郡 玉穂町誌 1663 十日夜(とおかんや) 新米で餅をつき、神に供えた。下肥をもらった甲府の人にも届けた。 えびす講の時には甲府から秋刀魚が沢山届いた。下肥、餅、秋刀魚の付き合いがあった。11月10日の行事で、収穫を見届けた田の神が山に戻って再び山の神になる日。また、炬燵の炉びらきもした。 記述無し
竜王町 中巨摩郡 龍王村史 934 十日夜 餅を搗いて食べる。商人や非農家、寺にも配った。 秋の麦蒔きで疲労した体力回復のために餅を食べた。 11月10日/11月23日
若草町 中巨摩郡 若草町誌 1530 十日夜(とおかんや) 今年収穫した新米で餅をつき、田の神様に供える。「かかし」を田から引きあげて、感謝の意を表した。 親類縁者や非農家に餅を配って、収穫の喜びを分かち合った。この日を「かかしあげ」と呼ぶところもある。これは田の神様になりかわって、田の中で収穫を見守っていた案山子に感謝の意を表す行事でもあったから。 11月の旧10月10日にあたる日
市川大門町 西八代郡 市川大門町誌 記述無し
上九一色村 西八代郡 上九一色村誌 1687 十日ン夜&トウカンヤ 新米で餅を搗き食べる。 農家の新嘗祭。 旧暦10月10日
下部町 西八代郡 下部町誌 1783 十日夜 朝、小さい団子を作り、わらづとに入れて屋敷神やお稲荷さんに供した。夕方から餅をついて豊穣を祝う。 田の神が餅を搗く杵の音を聞いて里から山へ帰ると考えられていた。このような事から「朝かなり、晩はなおよし十日夜」とうたわれた。 10月10日
三珠町 西八代郡 三珠町誌 1378 十日夜&とうかんや 餅を搗く。 「一年中で一番うまい餅は十日夜の餅」と言われる。炉開きといって炬燵をたてる日とされ、餅をついた竈の火を入れれば火事の災いがないとされる。 11月10日
六郷町 西八代郡 六郷町誌 1573 十日夜&とうかんや&亥の子 餅を搗いて近所に配った。山付き地方では「亥の子まつり」ともいい、亥の子に似た子芋(里芋)をふかして食べた。 収穫の喜びを分かち合い、次の年の多収穫を祈る行事。 10月
芦川村 東八代郡 芦川村誌 下巻 814 十日夜&トウカンヤ 餅をつく。特に新井原では「カカシ祭り」といわれ、畑の案山子を家へ運び入れ、汚れを落とし、餅を供えた。 農神を祀り祝う日。また、農道や峠道の普請を行う日だとされていた。 記述無し
石和町 東八代郡 石和町誌 第二巻 社会・文化編 現代編 77 十日夜 新米で餅をついて神に供える。この餅はあちこちに配る。子供は藁で作ったワラデッポウで地面を叩いて回る。モグラ除けの呪いといわれる。「十日夜米も小豆もよく実のれ」「十日夜のワラデッポウお蚕大当りおエベツさんにこにこ」 田の神が山へ帰る日で、神に感謝する祭りである。 「十日夜米も小豆もよく実のれ」「十日夜のワラデッポウお蚕大当りおエベツさんにこにこ」 11月10日
豊富村 東八代郡 豊富村誌 下巻 878 とおかんや 新米で餅を搗く。饅頭を神棚へ上げる。 新暦の11月10日に行う。この晩から夜なべ仕事をはじめ、冬の約3ヶ月間に1年分の草鞋や草履を作り、縄をなったりするほか、繕い物などの針仕事に精をだした。「とおかんやの泣き饅頭」という言葉は夜から働かなければならない事を嘆いたもの。 11月10日
八代町 東八代郡 八代町誌 下巻 795-796 十日夜&とうかんや 朝、大升一杯の米を粉にして団子を作る。これを大升に入れて蚕神に供え、夜は餅をついて田の神に供えて当年の豊穣を報告する。子供は藁を束にして縄で巻いた藁鉄砲を作り「十日夜の藁鉄砲」と言いながら地上を叩いて回る。この芯に芋がらを入れると一層良い音がする。 この時の団子を「かなり」といい、餅を「なおよし」という。これは「朝かなり晩はなおよし十日夜」という言い伝えがあると古老がいう。最近は影をひそめつつある。 「十日夜の藁鉄砲」 10月中旬
春日居町 東山梨郡 春日居町誌 1234 十日夜 新穀で餅をつく。十日夜の藁鉄砲。 旧暦4月10日に山から降りてきた田の神様が旧暦10月10日に山に帰るという。 記述無し
勝沼町 東山梨郡 勝沼町誌 1108 十日夜&とうかんや 9日の夜にまゆ団子を作り、早起きして蚕神に供え、十日には餅をついて田の神に供える。 春に山から降りた田の神が山へ帰る日。刈上げと同時に里から山に帰る田の神への感謝の祭り。俗に「朝かなり、晩はなおよし、とうかんや」と言い習わす。 記述無し
牧丘町 東山梨郡 牧丘町誌 1446 十日夜&とおかんや 新米で餅をつき、神に供えて豊作の感謝をする。この餅は、秋の農繁期を働きぬくための力餅ともいわれる。 田の神様を祀る。春山から光臨した田の神がこの日に山に帰ると伝えられている。稲作・養蚕が盛んな頃に盛大に行われたが、最近は少なくなった。西保地区では秋葉さんの祭りがあり、青竹をつかって百八灯の日が山にともされて無火災の祈願がされる。 10月10日
三富村 東山梨郡 三富村誌 下巻 1139-1140 十日夜&トーカンヤ 桑で作った案山子に蓑を着せたり、マユダマ(繭玉)の団子を作って蚕神に供える。翌朝にマユダマを下げて食べ、夕方には餅を搗いて食べる。 蚕神信仰と結びついているのが特徴。麦蒔き作業も終了した時期に当るので、世話になった蚕神や作神に感謝の意を示した行事か。 記述無し
大和村 東山梨郡 大和村誌 下巻 501 十日夜&トーカンヤ その年に収穫された粟でアワモチをついて神棚に供える。 神の去来を伝えてはいない。田の神ではなく、畑の神に感謝を捧げる祭りだったらしい。 記述無し
鰍沢町 南巨摩郡 鰍沢町誌 下巻 808 十日夜&とうかんや 餅を搗く。 田の神が山に帰って、山の神になるという。商店街でも「トウカンヤ」を行った。「トウカンヤまでには麦を蒔く」といった。 旧暦の10月10日
中富町 南巨摩郡 中富町誌 1611-1612 十日ン夜・サノボリ 餅をつく。 田の神が山へ帰って山ノ神になる。 記述無し
南部町 南巨摩郡 南部町誌 1045 十日夜&とおかんや 餅を搗いたり、ボタモチを作ったり、巻寿司などのご馳走を作った。家によっては薩摩芋の揚げ物を作った。 モノビ。地区ごとに日を決めて一斉に行うもの。知人や親戚が行き来して互いを招いた。新穀を神に捧げる日とされる。 10月10日頃
早川町 南巨摩郡 早川町誌 1568-1569 十日ン夜&とうかんや 下湯島では米や粟を混ぜ、好物のオハトウ(オカラク)をはたいて俵にこしらえ、一升枡(大枡)に入れて供えた。枡の中に紙や南天の葉を敷き、その中に入れてお宮に持って行く。上湯島では粟の穂を上げ、新しい黍、粟の餅を搗いて仏壇に上げた。雨畑では夜オカクラを作った。昔は粟で今は米。 下湯島では畑紙が天竺(天)に帰るといい、上湯島では畑神が家に来て祝ってもらってから天竺にオカクラを背負って帰るという。オカクラとは生米を水車でついて、団子もしくは俵の形に作り、神棚に上げた後茹でて食べる物。 10月10日
増穂町 南巨摩郡 増穂町誌 955 十日夜&とおかんや 新米で餅をつき、神棚に供える。 大久保では田の神が山に発つ日なので招き入れ、ご馳走をする日とされる。田の神は1月1日に天から下ってくるという。十日夜の餅の米を炊いた火で炬燵をたてると無難だという。 11月中の旧暦10月10日
身延町 南巨摩郡 身延町誌 1085 十日夜&とうかんや 新穀で鏡餅を作り、台所に籾俵を2〜3俵積んで、その上に供えて祀った。餅の他に団子を作って供えるところもあった。 田の神が山に帰る日といわれた。 11月中の旧暦10月10日
忍野村 南都留郡 忍野村誌 第二巻 422 十日夜(とおかんや) 餅をちうて神棚に供える。今は絶えている。 秋の収穫が一段落したお祝い。田の神が山にたつ日だと以前はいわれていた。 記述無し
鳴沢村 南都留郡 鳴沢村誌  第二巻 記述無し 記述無し
西桂町 南都留郡 西桂町誌 本編U 山・川・織物と生活文化史 238-239 十日夜&トウカンヤ 小豆餅の入った団子を供える。「十日夜の団子は斗枡であげろ」ともいい、一斗枡に団子を入れて供える家もあった。 稲の刈上げ祝いである。十五夜よりも盛大に祝った。 旧暦の10月10日
塩山市 塩山市史 通史編 下巻 668-669 十日夜&トーカンヤ 新米で餅をつき神に供える。また、一年間使用した農具をきれいに洗い土間に祀り、そこにも餅を供える。この日の食事は「朝かなり、晩はなおよしトオカンヤ」となどと称すように、朝は団子、夕食はツケコ餅(餅に小豆餡をまぶしたもの)がでる。尚、この日、子供たちは藁を縄で巻いた筒状のものを作り、庭や道をペッタンペッタンと叩き回る。この折に「トオカンヤ、トオカンヤ、トウカタテバエビスコウ」などと囃したる。これは年貢米を取りたてに来る代官への憂さ晴らしや武田信玄以来の税法である大小切を顕彰した行為であると説かれている。 この日に家の神々が出雲大社に出立する。あるいは田の神が山に還るとされている。 「トオカンヤ、トオカンヤ、トウカタテバエビスコウ」 記述無し
甲府市 甲府市史 別編T 民俗 332-333 十日夜&トウカンヤ&刈上げ祝い トウカンヤ餅を搗いて神棚に供えたり、日ごろ世話になった家などに贈る。 刈上げ祝いともいい、新穀を神に供える日と伝えられる。作神が山に帰る日ともいわれる。商店などでは11月のえびす講祝いに秋刀魚を農家に送ったりもした。この日は草鹿沢町金生神社の祭日。 旧暦10月10日
都留市 都留市史 資料編 民家・民俗 427 トウカンヤ 玉川では俵の形の団子を作って俵神様に供えた。小野では新米で作った団子を10個供える。沖では9日に団子を作って用意しておく。宝では「トウカンヤの団子」といって、新米をひいた粉で団子を作って神棚に供える。その数は10個か33個という。井倉では11月10日がトウカンヤで稲の刈上げを行い、団子を作って供えた。 玉川では俵神様に供え、小野ではトウカンヤには神様が少なくてもよいからきれいなものをあげてくれ、と言うのだと言って新米で作った団子を10個供える。沖では9日に団子を作って用意しておく。10日にお稲荷さんが団子を持って出雲の神さんに縁結びを頼みに行くのだという。宝では「トウカンヤの団子」といって、新米をひいた粉で団子を作って神棚に供える。その数は10個か33個という。井倉では11月10日がトウカンヤで稲の刈上げを行い、団子を作って供えた。 10月10日/11月10日
韮崎市 韮崎市誌 下巻 561-562 とうかんや&かかしあげ 餅をついて田の神に供える。 別名かかしあげ、ともいわれる日。案山子は田の神の代りで、この日に田の神は田から引きあげると考えらた。農神の感謝祭の日。 11月中
富士吉田市 富士吉田市史 民俗編 第二巻 117-118 十日夜&とうかんや 新米で餅を搗いたり、ボタモチや団子を作る。松山などでは子供らが集まり、藁束を縄で巻いて太い棒(藁鉄砲)を作った。地面に打ちつけ「ハッページ。ハッページ」と掛け声をかけながら道路の上などを叩いて回った。 下吉田などでは家の神々が出雲に発つといい、御九日に小さな団子を沢山作り、盛り上げて神棚に供える。これを神様の弁当という。12月1日の高尾の祭の日に帰ってくるという。上吉田ではこの日にオトコ神が出雲に発つといわれ。弁当の団子を作って備えるという。 10月10日
山梨市 山梨市誌 記述無し
 2003年9月中旬。掲示板に1つの書き込みが御座いました。
 「山梨県のトウカンヤの行事について知りたい」
 正直最初「うーん」と思いました。あまり詳しく知らなかったのですね。どんな行事か、大体どの辺りで行われているか、などという事は知っているのですが、具体的に何時何処でどんな風に行われているかと問われると、首を傾げてしまいます。
 さて、そうなってきますと細かい所が知りたくなるのが人情というものです(笑)。
 という訳でここから先は民俗に関しては門外漢、学んだ事など無い人間が勝手に調べてまとめ上げたページになります。そういうものは読みたくない、と仰る方は速やかにお戻り下さい。読んでやっても良いかな、というお心の広い方はスクロールして下さい。
『山梨県史』記述のトウカンヤ

▼トオカンヤ

 旧暦十月十日。現在は十一月十日。十月十日に行うところもあるというが、今はほとんど行われない。
 稲の収穫を祝う行事で、刈上げ祝いともいう。田の神が山に帰る日とされ、農家では新米で餅をついて神棚へ供え、田の神に収穫を感謝して食べる。トオカンヤ(十日夜)につく餅が一番おいしいといわれた。
 甲府市国母・同市貢川(くがわ)・中巨摩郡玉穂町などの農家は市内の大きな商家から下肥を汲んでいるので、日ごろの感謝を込めて餅を届けた。これは子どもの役目であった。
 農家ではこの日までに麦を蒔き、片付けに入るなど農作業の目安とした。
 八代町方面ではこの夜、子どもが藁を束にして縄で巻いたわら鉄砲を作り「十日夜ののわら鉄砲」をいいながら、地面を叩いて回ったという(『八代町誌』下巻)。石和町でもわら鉄砲で子どもたちが地面を叩き回った。これはモグラよけのまじないといわれ、「十日夜米も小豆もよく実れ」「十日夜のワラデッポウお蚕大当りおエベツさんにこにこ」と唱えた(『石和町誌』第二巻)。
 トオカンヤには餅と饅頭(まんじゅう)を神棚にあげたが、この晩から一年分の草鞋・草履作り・縄ない・女性の針仕事などの夜なべ仕事に精を出した。この夜から働くつらさを「とおかんやの泣き饅頭」といった(『豊富村誌』下巻)。



民俗編の第三章一年 第二編時間の民俗 記載のP592〜P593より抜粋。
▼山梨での十日夜の行事例
 上記のように『山梨県史』での記載は短いです。これは山梨県に限らず大体の市町村史誌や県史ではよくある事なんです。予算の都合とか、ページ上の都合とか色々あっての事でしょう。まぁ、長く書けば良いというものでもありません。それに県史では別冊で細部に渡っての報告書が存在しています。県史本体に記載が少ないからといって、県史編纂の方が調べていないという訳ではないのです。きちんとした調査の後に県史シリーズは刊行されているのですね。この辺、誤解してはいけません。
 しかしながら、調査した全てが報告書という形で刊行されていないのも、また事実の様です。民俗学的に特に興味深いところは報告書が刊行されているのですが、そうでないところはありません。
 では具体的に知りたい場合は如何するか?→自分で調べてみましょう(^^)県内でトオカンヤが行われている地域。
 まずは全体的に書かれていそうな本を探します。論文検索…山梨県には山梨郷土研究会という大きな会があるのですが、そこの会誌(1〜103号)には十日夜について書かれているものは見つかりませんでした。という訳で、図書館に行って民俗の棚にある本を探してみましょう。『甲州年中行事』『やまなしの民俗』『日本の民俗19 山梨』などにトオカンヤの記述がありますが、矢張り簡潔に纏められています。情報としては面白いですが、こちらが求める具体的な内容には至りません。
 じゃあ如何やって調べる?というナイス突っ込みが来そうですが、ちゃんとに手はあります。
 こういう細かな事が知りたい場合は、これを読みましょう『山梨県民俗地図―山梨県民俗文化財分布調査報告書―』。これは昭和60年発行なのでいい加減古いのですが、大変に便利です。県内に調査地区を160ばかり設けて、項目毎にチェックした優れ物なのです。これの十日夜の項にある地図を見れば大方の目星が付けられます。
 この資料で確認してみると全部で44の市町村でこの行事が行われている(いた)のが判ります。現在は市町村も統合があるので、これより少々数が減りますが、県内の殆どの地域での行事、と定義して良い様です。
 さて、ここまでで県内のどの地域で十日夜が行われている(いた)かが判りました。何を行っているかも判ります。しかし、ここまできたらいってみましょう(笑)、各市町村市誌。藁鉄砲の行事が行われているかなどは判るのですが、その掛け声までは判らないのですね。
 新暦と旧暦がある事から行われている日も気になるところです。また、何を目的にこの十日夜をしているのかも気になります。
 気になりだしたら止まりません。
 出来る限りやってみましょう。
▼そもそも十日夜って何? 
 十日夜というのは「とうかんや」もしくは「とおかんや」と読みます。民俗辞典などでは「とうかんや」で広辞苑などでは「とおかんや」でひくことが出来ます。山梨県では五分五分といった感があります。
 旧暦10月10日に行われる刈上げ(稲刈りを終わった後、家々や村単位での祝い)の行事の事で、長野・山梨・群馬・埼玉の各県及び栃木・新潟の一部で行われます。この行事は西日本一帯にみられる亥子(いのこ)という刈上げの行事と対応しているといわれ、藁ボテで地面を叩くという共通した行事がある地域もあります。辞書などには「刈入れが終わって田の神が山へ帰るとして祀る」日なのだと書かれています。確かにそういう意味でこの行事を行っている地域もあるようです。
 亥子(関西)に比べると十日夜(関東)の方が農耕儀礼としての色彩が濃いと言われています。この関西と関東を何処から何処までの線引きで言っているものなのか、是非知りたいところです。西と東の大方の文化は愛知県を境に変わるらしいのですが、この件に関しては書いている文を読んだ事がないので、知らないのですね。
 まぁ、大体は秋の行事に分類されていますが、本によっては冬の行事として紹介されています。   

参考文献『日本民俗事典』大塚民俗学会,1994年/弘文堂 発行
      『広辞苑』 
十日夜〜とおかんや〜