長い、間違い 07


 何事も無く一ヶ月が過ぎた。経営陣は立て直しを図るために奔走し、開発チームも来々季を視野に入れて新規巻き返しに忙しい。 ドライバーたる加賀の出番と言えばトレーニング以外は精々ファンサービスとテストドライバーくらいのものなのだが、 肝心のマシンも、来季の出走予定もないのでは、コースに出たところで燃料の無駄だという話で。
 冬場はほとんどのレースカテゴリがオフシーズンだし――もっとも、ハイシーズンだとしたって、AOIとの契約が切れていない身ではどうにもならないが―― よく言えば気侭な、悪く言えば所在無い日々が続いていた。
 だから、久しぶりにその名前を見たときは一瞬、奇妙な違和感さえ覚えたのだ。
「……女王様の、お召し、ってか」
 モニタに向かって呟いてみる。社名の入ったアドレス、公的な体裁に則って届いたそのメールは、AOI-ZIPの経営責任者――つまり葵今日子から。 12月の第4金曜日、クリスマス会を兼ねた忘年会を行う旨の通知だった。来いとも来るなとも書かれていないが、明記された日時と場所が、疑いようも無く参加を求めている。
 あれ以来、顔を合わせていない。当然だ。加賀が、意図的に避けている。 仕事が無いのも本当だが、今日子の存在が気懸かりなのも本当だった。 この一ヶ月、そうやって関わりを減らしている所為で、メールの言う「忘年会」とやらの裏にどんな思惑があるのか、さっぱり見えて来ないのだ。
「…ま、訊いてみるに限るな」
 咥え煙草で呟いて、時計を見る。20時32分。まあ許容範囲だろう。 帰宅中であることも考えて、呼び出し先は携帯電話にした。片桐誠。加賀よりも数ヶ月前からAOI-ZIPに籍を置いている、信頼できるメカニックだ。 誠実な人柄ゆえか、立場に似合わぬ情報通で、訊ねれば差し障りの無い範囲で出来事の内実を教えてくれる。
[はい、片桐です]
 受話器越しの声は相変わらずはきはきとして礼儀正しい。 年齢的には加賀とほとんど変らないこの男が、誰に対しても崩さないその丁寧さは、気侭を身上とする加賀にとっては多少面映ゆい美徳だ。 咥えた煙草を口から外して、一拍置いてから応じる。
「あー、悪ィないきなり。手ぇ空いてたか?」
[大丈夫ですよ、さっき帰宅して一息ついてたところなんです。それにしても、なんだかお久しぶりですね]
「だな」
[ファクトリでお会いすることもほとんどありませんしね]
「そっち、どーだ? みんな変わりねーか?」
[どっちかっていうとヒマで困ってますね。開発の方は情報収集やら何やら必死で進めてくれてますけど、おれたちはマシンそのものがないことには、ほとんどやることないですから]
 わかるわかる、と一頻り頷きあってから、改めて用件を切り出した。
「で、電話したのはちょっと、訊きたいコトがあってなんだけどな」
 届いたメールの内容を手短に確認する。
「妙に堅苦しいっつーか……公式通知、って感じなのがなんとなーく違和感あってな。こんなの、去年あったか?」
 いや、とちょっと考えるようにしてから、片桐の明快な声が答えた。
[おれたちは月曜MTで直接聞きましたからね。偶々その場にいなかった人にはメールが送られてるっていうことでしょう。 忘年会自体は毎年ありますし、昨年と、そんなに大きな違いはないと思いますよ]
「そう……か」
 まあ、そう解釈するのが妥当だろうとも思っている。ただ、いつもの今日子ならまず直接電話してくるだろうに、という感覚も捨てきれないのだ。 加賀が今日子を避けているように、彼女も幾らか気まずいのか――それとも何か、事情があるのか。それが少々、気に懸かる。
[――とは、思うんですけどね。ただ、]
「? なんだ?」
[ちょっと、気負い過ぎてるんじゃないかな、って気がしてるんですよ。この忘年会]
「……たかが呑み会に?」
 僅かに声のトーンを落とした片桐に、思わず眉をひそめて応じる。
[この一年を締め括るっていう名目の呑み会でしょう。今シーズンのごたごたは、呑んで忘れてはいおしまい、ってレベルじゃなかったですから]
 それはそうだろう、全力で来季に向かっている筈のこの時期に、こんな呑気な電話が出来ていること自体が状況の異常さをはっきりと示している。
[来年まるまる一年を、手をこまねいて見ていろってのはやっぱり、きついですよ。……見切りをつけて他社に行こうって人材も、あちこちで目につきますし]
 語る口調にほんの少しの苦さが混じる。長く付き合ってきたチームが瓦解して行く様を見るのは、どう取り繕っても気持ちのいいものではない。
[年が改まるのを機に、はっきりした新体制を打ち出したいんだと思います。そのためには主役であるドライバーの確保は必須で、 ……だから、加賀さんのこと、頼りにしてるんだと思いますよ。きっと]
(感謝してるわ、貴方には)
 不意に、今日子の声が蘇る。あれは本心だったろう――SOSにも思えるくらい。
「契約金三倍くらいにしてくれりゃ、もーっと頑張っちゃってもいーんだけどな!」
 苦しくなる呼吸を誤魔化すように軽口を叩けば、意を酌んだように明るい笑い声で片桐が返す。
[新条さんはいないし、フリッツも病院だし。唯一無二のドライバーなんですから、強く出ちゃうのもありかも知れませんね?]
 まあ折れるまでに何十回も怒鳴られるでしょうけどね、と笑う声に怖ぇ怖ぇと返して、加賀は肩を竦めた。
[冗談はともかく、おれからもお願いします。なるべくオーナーの力になってあげてください。だいぶ無理してるみたいですから]
「無理してる?」
 鸚鵡返しにした声音に随分と余裕が無くて、言った後からはっとする。片桐の方は全く気にする様子はなかったが。
[なんて言えばいいでしょうね、随分と気を張っているっていうか……いや、やっぱり無理してる、っていうんでしょう。 朝早くからオフィスに来て、夜遅くまでばりばり働いてはいますけど、時々、ふっと沈んだ顔してるんですよ。少しやつれたような感じで]
 相槌も打たずに唇を噛んだ。薄々、危惧していたことだ。そうならないようにと思って、自棄酒でも気紛れでも、極力付き合うようにしてきたのに。
[おれも、出来る限りのことをして支えて行きたいと思ってるんです。おれをやとってくれたのも、新条さんのチームに付けてくれたのも、全部今日子オーナーですからね]
 少し照れたような声音でそう続けた片桐に、無理矢理顔を上げた加賀は、精一杯のからかい口調で笑い返す。
「お前、ホンット新条好きだよな! 健気過ぎて涙出るわ!」
 実際、新条の短気や我侭を、いちばん近くでひっかぶる羽目になっていたのは片桐だった。 とっくに見切りをつけていてもよさそうなものを、別チームになった今でさえこんなにも好意的に語るのだから、感心するやら呆れるやら。
[ええ、よく言われますよ悪趣味だって]
「自覚あんのかよ」
[でも、あの人のこと、こんな近くて見てたら絶対、嫌いになんかなれませんって。加賀さんだってそうでしょう?]
「……まあ、否定はしないでおく」
 確かにそれは、その通りなのだ。ばかばかしいと思いつつ、結局手を差し伸べてしまう。 加賀が本来面倒見のいい性質だというのも勿論理由ではあるが、周囲が思わず気にかけてしまうような、得体の知れない愛嬌のようなものが確かに、新条という男にはある。
「けど、お前ほど甘やかしちゃいねーぞ。たまにゃびしっと言ってやれびしっと! 甘やかしてっとロクなことになんねーんだからな、アイツ!」
 あはっ、と子どものような笑い声。
[もう大丈夫でしょう、みきさんがついてるんですから。勝利の女神がきっとビシッ!とやってくれますよ]
「だといーけどな!」
 声を合わせて笑いながら、靄のように胸を満たす、苦い思いを自覚する。
(……ばか、)
 花束の向こうに顔を隠したまま、彼女が小さく、小さく呟く。
 ほんと、バカだ。それでもまだ、アイツを見ているなんて。そのあんたを、やっぱり綺麗だと――どうしても綺麗だと、思っているなんて。
[ですから加賀さん、時々こっちにも顔出してくださいね。おれたちもオーナーも、待ってますから!]
 ――明るい声で現実に引き戻された。おうよ、と軽く応えて礼を述べる。通話を切ると時計表示は21時ぴったりを示していた。 また夜が来る。甘い夢の、重い余韻に惑わされる、いつも通りの冬の夜が。
「……さっさと済ませるに限る、よな」
 カレンダーに区切られた一年が終わる。区切りをつけるべき日が、近い、ただなんとなくそんな気がした。

→08へ続く



[2014年11月]